【第五回:哲学との出会い】幸福を得るため思考停止状態になり人生の本当の目的を捨てるか、もしくは不幸となるができる限り自分らしさを追求し、人生の達成感を得るか

満足する人生はどちらか、真逆のとなる2択の考え方がある様に思う。

 

①幸福を得るため思考停止状態になり人生の本当の目的を見失うか。

もしくは

②不幸となるができる限り自分らしさを追求し、人生の達成感を得るか。

 

私は②の考え方で生きたい。自分の人生の最後に苦しかったけど、自分の考えを終始一貫できたという他の誰にもない達成感があり、また「人間として」全うに生きたなという実感が持てる気がするからだ。

 

ちなみに①の考え方で自分が生きると想像すると吐き気が出るほど拒絶反応をおこしてしまいそうだ。

幸福になるというのは、とても聞こえは良い。しかし、これは欲望にまみれた、動物的思考であり、非理性的思考であり、知能を持った人間として生きることを放棄している様に思う。

わかりやすい例えを言うと

【お金へ執着すること】

お金で問題を解決出来てしまうから、お金がもっと欲しい、人の意志や労働力はお金で買える、自分でやる色々な面倒くさい作業は人にお金を払えばやってくれる、インターネットや本で自分の頭を使って調べ事をしなくてもお金を払って人に聞けば解決できる。一時的な快感を短期的に繰り返し得るが、いくらお金が会っても心の中は満たされない、むしろ自分が満足できる欲の基準を上げ続けることとなり、満足基準より下回ることを必死に避けることが生きがいとなってしまいそうだ。自分の欲を満たすことばかりに思考を取られてしまうだろう。

【大多数派・権力者の意見に従う】

自分の考えを通しても、世の中の流れに逆らうことになり、反って自分が苦労をすることになり、しんどくなりそうだから、「長いものには巻かれよう」といった根性の曲がった思考。こういった思考よりまだ奴隷の方がましだ。奴隷は自分の意思があっても強制的に働かされるそうしなければ殺されるため、自由の意思がない。しかし、自分の人生を自由に決められる立場にあるのにも関わらず、大きな権力の前に屈し、自分の意志で考えることを放棄するようなことは人間として命を授かったことに対する自分自身に対する冒涜であると思う。

 

一度きりの人生なのだから、絶対に後悔したくないという気持ちが強くこのような考え方に辿り着いた。