【第一回:哲学との出会い】自分の中に哲学を持つということ

今のタイミング(突然なのか?、必然なのか?わからないが)で書くことで頭の中を整理したく、たまたまブログという方法を選んだ。他人のブログは数知れず読み、自分も書きたいと何度も思っていたが、そうすることが逆に、自分の心の核に触れることを無意識的に恐れていたため行動に移すことがなかったのだ。

だが、今は自分の心に真摯の向き合えるようになりつつあるのだと感じている。新鮮で前向きな気持ちになってきている。

また、ブログという手段を用いることは、外から侵入不可能な閉鎖的な世界の中で誰からも作業の邪魔をされなくて済むため、心の安定感が保たれることを嬉しく思う。

 

前置きはこれぐらいにしておくとして、

本題の「自分の中に哲学を持ちたい」について下記する。

①自分にとっての哲学

哲学とは、人によって解釈は千差万別であるため、簡単には説明できない。ここでは、自分に対しての哲学、自分の人生を豊かにするという目的のために、人生を自分らしい考え方で生きるための最も大切にしなければならない信念であると捉える。

因みに何かを信じて生きていくという意味で、哲学は宗教的思考とは似ている概念があるが、根本はそれとは違うと思う。

例えば、聖書のように、他人によって定義、解釈された思想を無条件で信じるということでは無いと言いたい。

自分が思う哲学とは、自分自身の人生において経験と知識から思考を練り上げる。更に、常に新しい考えを強くし、更新していくことを生涯続けていくという思考方法である。

②哲学を学びたいと思ったきっかけ

主に日本社会で育った影響で、義務教育や会社、周りの人間たちの「偏った」意見、いわゆる「常識」とみなされているが考えが「毒」を注入されているかのように、気付かない間に脳内へ侵入し続け、思考回路の中枢プログラムが書き換えられている様なイメージで「脳生命の危機」を感じてしまっている。脳内の正常な思考と洗脳思考されてしまった思考が脳内で複雑に絡みあっており、長年苦しみ続けている。

それが、今となって、生き残っている正常な脳細胞が生命維持のためSOS信号を発し、激しい防衛反応をおこし始めているのだ!

洗脳部分を取り除く作業を本格的に始めなければ脳が殺されてしまう!と訴えてかけているのだ。

 

このような経緯で脳内の「解毒方法」として、とても効果的と思う「哲学的」思考を抗ウイルス剤として投与し始めたのである。

 

次回に続く